まにわの農家手帖
福島康夫さん
作成日:2026.9.15 最終更新日:2026.9.15
福島康夫さん
- #ぶどうと勝山の特産品「銀沫」農家
- #農家ひと筋45年
- #有機のアイガモ農法も
- #(株)城北農産あいがもファーム代表
- #農産物直売所「健康の里」会長
- #海釣りに行きたくてたまらない
やまのいも
45年
農家ひと筋
40年
ぶどう栽培
35年
アイガモ農法
Q
農業を始めたきっかけを教えてください
代々農家で継ぐものだと思っていたので、きっかけはないですね(笑)。
このあたり(山久世地区)は木炭の産地だったんです。うちはもともとその炭焼きから始まって、やがてシイタケの栽培に移って、父の代ではシイタケの専業農家でした。年間2tにもなる生産量だったと思います。
なので、私は岡山の農業大学校を卒業してすぐ、ここで農業を始めました。シイタケしか頭になかったので、農大でもシイタケを中心に学んで。
在学中に「シイタケをより栽培するには、どれぐらいの設備が必要か」と計算して、卒業後すぐ当時の県の補助金を使って200万円を借り、ハウスを建ててシイタケ栽培を始めたんですね。21歳ぐらいのときです。

Q
シイタケからぶどうに移られたのはどうしてだったのでしょうか?
シイタケが中国産にやられたんです。100g入りの1パック270円だったのが、中国産が入ってきたことで70円ぐらいまで落ちて「これまでは暮らしていけない」と。
そのとき思い出したのが、農大の先生の言葉でした。「福島の住んでいるところはぶどうに向いているかもしれないな」と言われてて。でも当時、ぶどうはまだ一般的ではなくて、「山のうえでぶどうはできない」とも言われていましたから本気にはしていなくて。
さらに、ちょうど行政からの水田の転作奨励もあって「ぶどうはどうか」と話題にあがっていたんです。そこでぶどうに切り替えていきました。
シイタケは急にはやめられないですから、徐々に減らして。そのあいだに収穫まで5年はかかるぶどうの木を育てていきました。先生から教わったことと、自分の判断を組み合わせながら。だからぶどう棚も自作です。
Q
はじめから、ぶどうはうまくいったのでしょうか?
「山のうえではぶどうはできない」と言われていたんですけど、ところが始めてみると、とても良いぶどうができて(笑)。農大の先生の言うとおりでした。別の地域でも同時期にぶどうを始めたんですけど、もう出来がぜんぜん違っていたんです。絶賛されて、もういろんなところから引っ張りだこでした(笑)。
ただ、どこに出せば良いか、わからなくて。すべて「直販」。お客さんに直接、販売していました。市場からも「こっちにもまわしてほしい」と問い合わせが来ていたのですが、もう売れに売れていたので、市場にまわせるものがなくて。
考えてみたら、営業をしたことは一度もないです。HPもないのに、いまもほとんどが直販です。電話注文も受け付けていません(笑)。FAXのみの対応です。
それでも、いまもなおクチコミでどんどん広がっています。はじめ「親戚に食べてもらう」からスタートして、そこからどんどん広がって。ぶどうを始めてから40年近く経って、いまに至っています。

Q
勝山の特産品「銀沫(ぎんしぶき)」についても教えてください
きっかけは、富原地区の親戚から「ちょっとつくってみい」と珍しい山の芋をもらったことです。私も趣味で自然薯をつくっていましたから、言われるままにちょっとつくってみて。そうしたら、これが美味しかったんです。
同じ時期ぐらいに、当時(真庭市合併前)の勝山町長が「勝山の田んぼでできる特産品はないか」と考えていた。そんな勝山町長の目にとまって、「これを特産品にしよう!」と。
やまのいも「銀沫(ぎんしぶき)」
私は食べるためだけで、商売にしようというつもりはありませんでした。ところが、町長のひと声で生産研究会が発足して、組合ができて、どんどん大きくなっていったんです。私はもうその輪のなかにいました(笑)。
ちなみに、名前は公募で決まりました。「神庭の滝の水しぶきが畑に舞い降りてきた」というストーリーとともに、「銀沫」という名前のアイデアがあって。「これは良い!」と決まりましたね。

Q
そうして売り出した「銀沫」の売れ行きはいかがですか?
それこそ、もう人気で人気で。初年度、あっと言う間になくなりました。ないから断る、という連続で。
その結果、みんながつくり始めたんです。ただ、量を目指したからカタチの良くないものもたくさんできてしまって、2年目以降はぜんぜん売れなくなってしまった。
そこでいろいろ考えたんですね。例えば、形を整えるいまの栽培方法もひとつです。私が考案したのですが、トラクターを用いて大きな畝で育てる方法や、穴をあけて砂を入れ、そこで育てる方法など。
砂を入れることで、芋のカタチがきれいになるんです。砂もただの砂ではなく、きめ細かな砂を取り寄せてフルイにかけ、さらに1年間乾燥させて、銀沫の栽培用の砂にしています。
そうしているうちに、テレビ番組「満天☆青空レストラン」に取り上げられたり、勝山の飲食店でいろんな料理として提供されるようになったり、よしもと住みます芸人の勝山出身、ハロー植田さんが「まにわ銀沫ねばり隊」隊長としてPRしてくれたり。
銀沫の芋焼酎も人気で。毎年つくった分はすべて売れるようになっています。

Q
福島さんといえば、いろんな役職にも就かれていますよね
かつやまのいも生産組合の役員のほか、勝山の農産物直売所「健康の里」は設立当初から役員をしていて、いまは会長職をさせてもらっています。もともと勝山には青空市場が点在していたのですが、「きれいな直売所にまとめよう」という話になり、「健康の里」ができました。
ちょうど「銀沫」の栽培を始めた時代と重なっていたので、「銀沫を買うなら、〈健康の里〉」という風になって。いまも銀沫を販売するメインのお店になっています。もちろん銀沫だけではなく、お米や野菜、加工品も販売していて、地元の農家さん・地域の方・観光客を繋ぐ場所になっています。
また、株式会社城北農産あいがもファームの代表もしています。この会社は、農薬に頼らない有機農業を行なっている会社です。名前のとおり、アイガモ農法での水稲ですね。
始めてから、もう35年ぐらいになると思います。もともと後継者クラブ(現農業経営者クラブ)の活動の一環で始めたんですけど、仲間たちとするので「ちゃんとした経営体のほうが良いだろう」と、福島農園とはべつに運営しています。
稲穂が出るまで水田で放し飼いにして、稲穂が出たら一ヶ所に集めてカモたちを回収する。朝晩のエサやりもあって、手間はかかるんですけど、有機の美味しいお米をつくるためですから。

Q
農業の魅力を教えてください
農業は待ったなしです。この時期が来たら、この作業をしなければならない。天候にも左右される。気候変動の影響も年々感じている。でも仕事をしているというよりは、暮らしの一部というか、生き方のような気もしているんです。
面白さでいえば、改善できるところが必ずあることです。銀沫の栽培方法も、ぶどうの展開も、アイガモ農法も、全部「どうすればもっと良くなるか」を考え、自分なりに実践ができる。変化を恐れない。変化していけるところが農業の魅力だと思います。
まあ、やろうと思えば、いくらでも忙しくなります(笑)。朝5時に起きてぶどうを収穫して、9時には田んぼに出て、農作業していたら、あっと言う間に時間が経っていく。1日の最後、乾燥機の温度を確認したら、もう夜の10時だったということもしばしばです(笑)。
Q
これから農業を始めようと思っている方に、ひと言お願いします
仲間がいると良いです。ひとりでやるよりも、地域の人たちと関わっていくほうがずっと強い。私のぶどうも、銀沫もそうでした。どんどん仲間が増えて、産地として強くなっていったんです。
また、ここ山久世は良いですよ。先ほどもお話したとおり、ぶどうの引き合いが多い。「福島さんにお願いしたい」と田んぼや畑を任されることも多くて、新しい方にもどんどんゆずっていきたい。何だったら私が引退したら、ここをすべてゆずっても良いぐらいです(笑)。
まわりにまだ、農家さんもいるから仲間もいる。空き家もあります。山久世には農業で生きていける土地と環境があるんです。ぶどうにも、芋にも、水稲にも向いている。ここで地元の人と関わりながら農業をすれば、ちゃんと続けていけると思います。
